仏像彫刻を「うまくなろう」とは思わない

仏像彫刻を「うまくなろう」とかそんな気持ちでは彫刻はしていません。そういった技術的なことよりも、仏心をもつとか、悪いことしたらいけないな〜正直に生きるのがよいな〜という思いをこめて仏像を彫るほうがいいのではないかと思っています。

 

仏像彫刻をするというのは、自分の心が洗われるから。仏像を彫っていると、心が洗われるような感じがします。

 

禊(みそぎ)みたいな感じがします。ありがたみなどの感謝の心も湧いてきますね。

 

元となる木から、
元となる木
仏像のようなこんな形が、
完成した仏像 

 

よくできるものなんだな〜って我がことながら感心してしまいます。

 

四角い木の塊が、仏像の形になっている様子を見ていると、ただの木にも「心」があるという感じがしてきます。

 

人にあたるとき、つまりコミュニケーションをとるときは、仏さんと接するような気持ちで、人と話すようにしたほうがいいんではないかなって思ったりしています。

 

そうした、よりよい「心」が身につくからと思って、仏像を彫っているというふうに思います。うまく上手に彫ろうとは、ぜんぜん思わなくなっていますね。

 

技術を磨こうと思うのなら、もうそれはプロの道、仏像彫刻師の道であり、趣味の域を超えていくことを目指すことになるのではないでしょうか。

 

仏像彫刻の趣味を続けることができている理由は、心を癒すというような動機があるからです。だからこそ、どんどんと彫りたくなる気持ちになるのではないかと思います。

 

ひとつずつ仏像を完成させるごとに、自分でもこんなにできるんだ、あの元の四角いただの木から、このような仏像になるっていうのが、なんだか不思議な気持ちになる。達成感というやつですね^−^

 

よくここまでほれるな、自分で彫った仏像を見ると、すごいな〜って、やっぱり思う。

 

そんなこんなで、心が落ち着きます。

 

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